授業を試行することの意味
授業を通年でやっていく中で、本を読んだり学んだりするたびに、ちょっとしたアイディアを自分も取り入れてみようと思うことによくでくわす。しかしそれらは、
・年度の途中からでも取り入れられることと、
・はじめからやっていないと意味ないこと、 の両方ある。
ニセTOK授業を始めてみると、その方面のアンテナが効きはじめるから、ああこれをやってみよう、次回はああしてみよう、ということが次々に思いつく。脳内で何かがつながって、7年前に見た、哲学の授業を扱ったドキュメンタリーのことも、思い出した。その哲学の教師は、「今からは、深く・静かに考える時間なんだ」と、少しモードを“切り替える”ためのルーティーンを授業開始時に行う。「考えることを良しとする」・「“わからない”を一段深めることをすすめる」ことを担保するために非常に効果的だと思う。普段と同じ教室を使っているからこそ、こういう雰囲気を大事にしたい。ただ、こういうルーティーンのたぐいは、はじめからそれをルーティーンにすることに意味があるから、来年からやろう。
来年はこうしてみよう、ということがたまっていってなんだか嬉しい。これが、ニセでも試してみることの最大最強の効果である。