TOK考え中

IB(国際バカロレア)DPのコア科目TOK(知の理論)。一体これは何なのか?どう教えるか?考え中です。

探究的な活動を高校生に“させたい”なら・・・

「探究」=善、というイメージが広まって久しい。

探究的な学びは、いいに決まっている。たくさんの人が、自分の分野に探究を盛り込もうと努力している。

たとえば

xtanqlcl.kotaenonai.org

教材も出揃ってきた。

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私の研究フィールドである高等学校でもそれは同じで、「探究」はバズワードである。たしかに、高校生に、よりよい方法である「探究的な学び」をしよう、とすすめることはたやすい。しかし、高等学校の段階ではいくつかの障壁がある。私はそれをいつも、「読書」のたとえを使って説明している。

 

「読書」は、高校生にとって絶対的にいいことだし、本との出会いは価値のあること。でも、部活もあるし、明日の予習もあるし、なかなか時間を取れない。定期試験の前は部活がないけれど、試験勉強とトレードオフしたらやっぱり読書に割く時間は取れなかった。

 

これと全く同じことが、「探究」でも起こる。自分のエクストラな時間を使うなら、より価値の高いものに使いたい。「読書」のように、短期的な効果に直結しないものは、すぐに優先順位がガタ落ちしてしまう。私の所属校でも、選択制・放課後の「探究」の活動が選ばれないことが多い。それを「部活」とか「文化祭準備」とかに比べて「探究」の価値が低いからだ、と同僚にディスられたこともある。

 

だから、一番の解決策は、教育課程をいじって「探究の時間」を作ってしまうことだ。実際多くの学校で取り入れられているし、総合的な学習の時間を使う学校も多いだろう。「やれ」というタテマエを取るなら、探究的な活動、調査や研究を思いっきりしていい「時間」(=「評価」も行われる)を担保してあげるのが、最も有効だ。

 

私の個人的な意見では、探究を取り入れよう!という主張は、必然的に、どのような手続きで、いつから、どのように時間割を変えていくか、というテクニカルな議論になるはずだ。それを無視している人は“ホンキじゃない”と思ってしまう。

(TOKをコアとして、TOKに時間が確保されている、TOKの最終試験もある、というDPカリキュラムは優れていると思う所以である。)