TOK考え中

IB(国際バカロレア)DPのコア科目TOK(知の理論)。一体これは何なのか?どう教えるか?考え中です。

「松本清張の授業」に私がこだわる2つの理由

旧い友人の1人に、M君という人物がいて、彼とは中学生の時の塾のクラスが一緒だった。お互い違うカルチャーで育っていたため影響しあい、仲良くさせてもらったが、彼はある私立高校に、私は地元の公立高校に進学した。1990年代後半のことである。

私の進学した公立高校は、「眠らないように注意しながら一斉講義を聴く」という授業スタイルが多かったように思う。当時は何の疑いもなく、授業とはそういうものだと思っていた。

だから、ある日、M君が私立高校で受けている授業の話を聞き、私はいたく興味を持った。曰く、「松本清張の『ゼロの焦点』を読んで、舞台である金沢まで研修旅行に行く。」とのことである。今考えると、「1つのテクストに継続的にアプローチし、作品と作家について深く理解・考察していく」ということなのだろうが、「なんだか遊びみたいで楽しそう」というのが私の初発の感想で、私立高校とはそのような楽しい授業があるのか、と驚いたが、その話についてはそれっきり忘れてしまっていた。

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年月が過ぎて、2007年、私は教える仕事に就いていたが、「点数」と「合格」が価値基準となって勉強がとらえられていることにうんざりしていた。当時の私の問題意識は国語科授業における「モチベーション」と「テクニック」の問題で、その時思い出したのが、M君が受けていたダイナミックな「松本清張の授業」である。

松本清張の授業」は、生徒の知的好奇心的モチベーションをケアする。そして、生徒の汎用的思考力にもコミットする。私が「どうにかしたい」と思っていたことを、解決しているように思えた。 

今思えば、M君の高校は、現在のような教育パラダイムが揺さぶられる時代のずっと前から、スムーズな高大接続、“研究”的、“探究”的な学びを志向していたことになる。「松本清張の授業」は、今でもなお、高校生をのめり込ませる魅力を持つ授業であるに違いない。

とにかく、私は「松本清張の授業」という自分が受けたことすらない授業をイメージし、自分の日々の授業を少しずつ工夫しはじめた。テクストを分析させる記述問題を出したり、行動中心アプローチを試みたりした。「自分は実際には受けたことがない」という要素が重要だったのかもしれない。ゴール地点も目標もあやふやだったが、様々なことを試すことができたからだ。プロジェクト・アプローチの授業づくりを学んでからは、「松本清張の授業」が、自分にもできるかもしれないとも思う。

今、生徒の知的好奇心的モチベーションを大切にすることと、生徒の汎用的思考力にコミットすること、この2つへのこだわりを持つことで、やりがいを実感している。それに気づかせてくれたのが「松本清張の授業」だったのだった。