TOK(知の理論)はやっぱり“知”について考えなければならない、と思った件
私のニセTOKの授業では、「知識の領域」および「知識の枠組み」について、詳しいことは割愛し、「各教科」に置換して授業している。
でも、これはやっぱりうまくいかない。というか、私の認識不足だった。「各教科の知識」たとえば「古典における知識」とか「数学的知識」とした方がよかった。「知識」という言葉を使って範囲を限定しないと、けっこうとりとめもないことになってしまうのだ。生徒に考えさせても、話が“数学の授業中に行うこと“とか、”数学をどう勉強するか”という範囲まで、議論が広がってしまう。
この授業で取り扱うのは「知識」に関することなんだ、という意識がこちらに不足していたのだろう。
今まで、TOKの教師用ガイドを読んでも、「あーはいはい、これを教えるのね。」という感覚がなかなかおとずれず、ピンとこなかったのは、いったい何をする教科なのか、わかっていなかったからだ。
それは実は、私自身が“知識”という概念を授業であまり扱って来なかったからではないだろうか。(軽視していた)私は従来、問題演習を重視し、勉強を「テストを解くこと」とか「解けるように練習すること」というとらえる意識が強かったのかもしれない。
それぞれの教科の守備範囲をすべて“知”ととらえなおす。逆にいうと、知というものに概念化しなければ、批判的に見ることがしにくいのかもしれない。それに対し、分析を加えていくというアプローチが、TOKの特徴なのかもしれない。
ということは、生徒は数学の授業中にどんな“知”に触れているのだろうか。数学的知とは何か、ということを深く考えさせる必要があると思った。